浦和地方裁判所 昭和63年(わ)296号 判決 1989年8月23日
主文
被告人は無罪。
理由
第一 公訴事実と争点の概要
本件公訴事実は、「被告人は、長男A(昭和四八年一二月二日生、当時一四歳)の将来を悲観し、右Aと無理心中することを決意したところ、自己が死亡後残される次男B(昭和四九年一一月七日生、当時一三歳)及び長女C(昭和五三年八月三〇日生、当時九歳)を不憫に思って、次男及び長女も道連れにしようと企て、昭和六三年二月一〇日午後九時三〇分すぎころ、埼玉県浦和市<住所省略>○○団地二号棟二〇一号室被告人方において、前記A、B及びCの三名に対し、順次その頸部をそれぞれ所携の細紐で巻きつけて強く絞めつけるとともに、右B及びCの両名に対しては、更に、順次その頸部を両手指で強く絞めつけ、よって、そのころ、同所において、右Aら三名を窒息により死亡させて殺害したものである。」というものである。
ところで、本件においては、被告人が公訴事実の日時、場所において、同記載の方法でAら三名を順次殺害したこと自体は極めて明らかなところであり、弁護人もこれを争っていないが、弁護人は、(1)Aの殺害は同人の嘱託に基づくものであって、殺人罪ではなく嘱託殺人罪を構成するに止まるし、また、(2)右各犯行当時、被告人は重症の内因性うつ病に罹患しており心神喪失の状態にあったから、いずれにしても被告人は無罪であると主張している。そして、当公判廷で取り調べた証拠によれば、Aの殺害が事実上同人の依頼に基づいて行われたものであること、及び被告人が右各犯行当時内因性うつ病に罹患していたこと自体は明らかであって、問題は、<ア>Aの依頼が、嘱託殺人罪成立の要件とされる嘱託、すなわち「事理弁識能力を有する者の自由かつ真意に出た」依頼であったといえるかどうか、及び<イ>右各犯行当時、被告人が、うつ病のため、是非善悪の判断能力を完全に喪失していたと認められるか、著しく低下した状態にあったに止まるかという点にある(検察官は、右<ア>につきAの依頼は、「自由かつ真意に出た」ものではなかったと主張し、また、<イ>につき限定責任能力の存在を主張している。)。そこで、以下においては、まず、証拠によって認定し得る本件犯行に関する事実関係を明らかにしたのち、右各争点について、順次検討することとする。
第二 認定事実
一 事実の経過
まず、関係証拠を総合すると、被告人が被害者三名を殺害するに至った経緯は、概ね以下のとおりであったと認められる。なお、これらの事実は、後記二において補足説明を加える二、三の点を除き、証拠上ほぼ明らかなところであり、検察官及び弁護人も、基本的にこれを争っていない。
1 被告人は、昭和四〇年に埼玉県下有数のエリート校とされる県立○○女子高校を優秀な成績で卒業したのち、東京都内の会社で事務員やキーパンチャーとして働いていたが、同四七年ころ、知人の紹介で、建設会社に勤務するD(昭和一八年三月三一日生)と交際するようになり間もなく、その母Eにも気に入られて、同四八年一月にDと結婚し、夫の実家に同居をしながら、姑(E)の経営する助産院の手伝いをしていたが、そのうちに義母との折り合いが悪くなったため、長男A(昭和四八年一二月二日生)、次男B(昭和四九年一一月七日生)をもうけたのちである同五〇年一月ころ、一家はDの実家を出て独立することとなり、その後間もなく、長女C(昭和五三年八月三〇日生)をも出産した。しかし、建設会社に勤務するDは、日頃出張がちで長期の不在が多く、家事、育児は、全面的に被告人に任されていた。
2 被告人は、優秀な頭脳を持ち、子供の頃から学業成績も極めて良かったこともあって、勝ち気でややエリート意識が強くすべてを自分の思いどおりにしようとする完全主義者であり、子供の躾けにも厳しく、また神経質、潔癖症で、子供達が家の中を散らかすことさえ許さないようなところがあった。しかし、被告人は、日頃から子供に対しては人一倍深い愛情を注いでおり、育児に何くれとなく心を砕いていたため、子供達もよくなつき、被告人と子供達との精神的絆には極めて強いものがあった。これに対し、夫Dは、前記のとおり不在がちで子供の教育を妻に任せた形となったため、被告人はDを頼りにせず、Dも被告人のそのような気持を感じ取って面白くない気持でおり、夫婦間にはいまひとつ気持の通じ合わないところもあった。
3 ところで、昭和五七年秋頃、被告人は内因性うつ病を発病し、全ての事にやる気を失い希死念慮も現れるなどしたことがあったが、知り合いの浦和少年鑑別所の家近一郎医師(以下、「家近医師」という。)の診察を受けて抗うつ剤や精神安定剤を処方してもらい、半年位で軽快し、その後は、従前と同様家事、育児を精力的にこなす傍ら、信仰しているカトリック教会やPTAの活動のほか、地域のボランティア活動や、無農薬野菜の購入のための生活協同組合活動にまで手を広げ、更には、スイミングクラブの受付事務のアルバイトをするなど極めて社交的、積極的な生活を続けていた。
4 被告人の三人の子供のうち、長男Aは、もともと内向的な性格であったが、小学校六年生の頃から、時折り、自室に閉じこもって内側から施錠し、食事を拒否したり、暴れて家具を壊すというような奇怪な行動に出るようになり、特に、中学二年生の秋(昭和六二年九、一〇月頃)には、家族とほとんど口をきかず、朝食も摂らず、時には学校も休むようになった、被告人は、Aの右のような行動に、かねてより心を痛め種々思い悩んでいたが、同年一〇月ころには被告人自身が再び、抑うつ気分、希死念慮等を中心とする典型的なうつ病の症状を呈するようになり、その生活態度も、従前の社交的・積極的なそれから一変し、同年一二月ころには、ボランティア活動やアルバイト等を一切やめ、家の中でただ無為に時を過ごすようになってしまった。そして、同年年末頃に至ると、右症状は特に激しくなり、被告人は、正月料理も作れずに、死ぬことばかり考えていたが、ただ自分が死んだあとの子供の生活を考えると自殺の決意も鈍り、このことが歯止めになってかろうじて自殺を思い止まっているという状態になってしまった。右のような被告人の生活態度の変化に接し、妻の健康に従前比較的無関心であったDも、さすがに心配になり、翌年(昭和六三年)一月五日、社会保険埼玉中央病院神経科(以下、「埼玉中央病院」という。)の岩尾芳郎医師(以下、「岩尾医師」という。)の診察を受けさせたところ、入院治療を要するほどの重症のうつ病と診断されたが(ただし、満床のため入院はできなかった。)、抗うつ剤の点滴と服用等同医師の治療の結果、同月一二日及び一九日の同医師の診察日には一旦はかなりの回復を見せ、被告人も自己の健康にやや自信を回復した。
5 しかし、他方、この間Aの異常は一向に治まらず、Aも自分と同じうつ病に罹患しているのではないかと心配になった被告人は、同月二八日、Dの同道を得て、Aを埼玉中央病院で受診させたものの、Aは医師の問いかけに泣き出し、何も答えようとすらしなかったため、正確な診断はつかず、「選択的緘黙症」という一応の病名のもとにひとまず経過を見ることとなり、二月一八日の心理相談を予約しただけで帰宅した。他方、被告人は、自己の健康に多少の自信を回復したところから、同日スイミングクラブでのアルバイトを再開してみたが、いざ仕事に出てみると、手が震え、目がかすんでとても働ける状態ではなく、わずか三日間でやめざるを得なくなり、そのショックもあって、前月末以来再び悪化のきざしを見せていた病状が更に悪化した。二月に入っても、被告人は、自分がいつ自殺に走るかわからないという気持から、預金通帳の所在をDにわざわざ告げたり、「みんな私が悪かった。教育でも失敗した。」などと、日頃の勝気な性格からは考えられないような発言をしたりする等、病状は相変わらず芳しくなく、同月九日に岩尾医師の診察を受けた際も、重症と診断されて、前月一九日に一旦中止されていた抗うつ剤の点滴が再開され、投薬量も増量された。
6 事件当日の二月一〇日、被告人は、午前六時三〇分頃起床し、簡単な朝食の支度をして夫やB、Cを送り出したが、Aだけは、「何となく学校に行きたくない。」と言うので、やむなく休ませることとし、寝ているように命じたけれども、同人から「起きたばかりで眠れない。」と訴えられたため、自分が埼玉中央病院から投薬された睡眠導入剤を一錠飲ませた。ところが、被告人は、その後間もなく、「どうしても眠れない。」と言って起きてきたAと寝室で話をするうち、同人から、突然「僕は、ずっと前から考えていたけれど、生きる希望も勇気もなくなった。死にたいから殺してくれ。」と言われて動揺し、ひとまず気持を落ち着かせるため「自殺の手伝いをすると自殺幇助の罪になるからできない。」などとして断るとともに、同人が探してきた小六法の中から自殺幇助罪の該当条文を探そうとしたがこれを見つけ出すことができなかった。しかし、被告人は「ともかく、できない。」として同人の頼みを断るとともに、「それなら自分で死ぬ。」と言って付近にあった切り出しナイフを手にした同人から、直ちにナイフを取り上げ、必死に説得した結果、Aも次第に落ち着きを取り戻した。その後、被告人は、Aの側につききりで座っていたが、同人においしいものでも食べさせて元気を出させてやりたいとの気持から、Aに更に睡眠導入剤一錠を飲ませて落ち着かせたのち、午後一時三〇分頃、電車に乗って、単身浦和市内のデパート(伊勢丹浦和店)に出かけたけれども、たまたま当日が定休日で店が閉まっていたため、やむなく、タクシーで同市内にある両親の墓所へ赴きAの快癒を祈願し、最後に北浦和駅東口のスーパーマーケットで、食パン、牛乳、肉、生ラーメンなどの買物をして、午後四時三〇分頃帰宅した。
7 帰宅後、被告人は、Aが留守中腕を切って自殺を図っていたのを発見して再び動転し、一旦は、「そんなに簡単に死ねるものではない。」「だから、死んじゃだめよ。」などと、必死に同人をなだめて落ち着かせたが、その後、帰宅したBとCに簡単な夕食を摂らせたあとの午後七時半ころ、再びAから、「やっぱり僕はだめだ。生きていけないから、早く殺してほしい。」などと繰り返し頼まれるに及び、このようなことでは、今後の高校受験も覚束なく、まともな社会生活を送ることもできないのではないかという気持から、苦しむ同人への不憫さがいっそう募り、「かくなる上は、本人の望み通り殺してやるのが一番いいのだ。」と思い込むに至り、同人の殺害を決意した。
そして、被告人は、このようにして、かねて自殺を思い止まらせていた歯止めの一つが失われたところから、直ちに自らも死のうと意を決したが、そうなれば、あとに残されるBらがつらい思いをすることは必定と考えて、同人らをも殺害した上で自殺しようと決意するに至った。
8 かくして、子供三人との心中を決意した被告人は、自らは、睡眠導入剤の多量の服用により命を断ち、子供三名については、いずれも絞頸により殺害しようと考えたが、すでに死を決意しているAを除く二名については、睡眠中に絞頸するほかないところから、同日午後八時頃、近づくバレンタインデーのためのチョコレート作りをしていたBとCの両名に対し、風邪薬と偽って睡眠導入剤(Bに三錠、Cに二錠)を飲ませ、同人らを寝つかせた。そして、被告人は、勉強部屋の和ダンスの中から自己の和服用の腰ひも三本を用意した上、同日午後九時三〇分頃、相変らずぐったりと、南側六畳間のふとんの上に横たわったままのAに対し、「本当にいいんだね。」と問いかけたが、黙ってうなづく同人の態度によりその意思が変っていないことを確認したため、右腰ひものうちの一本を二つ折りにし、その両端を両手に巻いて同人の頸部を一重巻きにし、左右に交差させて約五分間強く絞め、そのころ、同人を窒息により死亡させて殺害した。その直後、被告人は、同室で熟睡中のB及びCの両名の頸部をも、前同様の方法で順次強く絞め、更に息を吹き返した同人らが小さいうめき声を発するや、今度は、自己の手で頸部を絞めつけ、右両名をも窒息により死亡させて殺害した。かくして、右三名を殺害した被告人は、夫に宛てて遺書をしたためたあと、残りの睡眠導入剤約四〇錠を飲み込んで自殺を図ったが、致死量を大きく下回っていたため死ぬことができず、呆然自失の間に、同日午後一〇時三〇分頃帰宅したDに発見され、激しく責められた末、「私を殺してくれ。」「私は警察に行く。」等と口走るなどしているうちに、駆けつけた警察官に逮捕された。
以上のとおりである。
二 右認定に関する補足説明
右認定の事実のうち、<1> 被告人がAに小六法を示して説得した時期、<2>Aに睡眠導入剤を飲ませた回数及び<3>被告人自身が犯行後服用した睡眠導入剤の数については、被告人の供述に若干動揺があるので、右のとおり認定した理由について説明する。
1 被告人が小六法を示してAを説得した時期について
検察官は、冒頭陳述においては、被告人がAに小六法を示して同人を説得した時期を、当裁判所と同様、被告人の昭和六三年四月一五日付け検察官調書(以下、「被告人の四・一五検面」と略称。他も、右の例による。)に依拠して、当日午前中であると主張していたが、平成元年三月二三日付け「精神鑑定請求書」中では、被告人の二月一九日付け司法警察員調書(以下、「被告人の二・一九員面」と略称。他も、右の例による。)を援用して、「犯行に近接した午後」と考えるのがむしろ自然である旨主張した。しかし、検察官は、右主張と冒頭陳述との関係について当裁判所から釈明を受けるや第八回公判において、「検察官の第一次的主張は、冒頭陳述で述べたとおり」であるが、被告人の供述の変遷等にかんがみ、「右の第一次的主張に固執するものではなく、犯行当日の夕方(午後七時ころ)である可能性も否定できないとする」趣旨である旨釈明した。
これによると、検察官としては、現時点においても、少なくとも第一次的には、小六法を示して説得した時期を当日の午前中と主張していることが明らかである。そして、当裁判所は、弁護人の平成元年四月六日付け意見書三項の記載等に照らし、右の点については、二・一九員面の記載よりも、四・一五検面の方が信用性が高く、検察官の第一次的主張に副う事実を認定することができるとの結論に達したものであるから、この点について、これ以上の説明は必要ないものと考える。
2 被告人がAに睡眠導入剤を飲ませた回数について
右の点については、二・一九員面では朝と昼の二回各一錠であるとされているのに対し、四・一五検面及び公判供述では朝一回(一錠)だけとされているところ、昼に飲ませたとする員面の記載は、その直前に自分で死ぬと言って切出しナイフを取り上げるなどしたAを一人残して買物に出かける被告人の心情として自然であり、しかも内容も具体的であること、他方検面は、「確たる記憶はないが昼には飲ませなかったと思う。」という程度のものにすぎず、公判供述も員面より検面の方が正しいと思うという趣旨にすぎないことに照らせば、作成当時の被告人の精神的・肉体的健康状態を考慮しても、員面の方が信用性が高いと思われる。
3 被告人が犯行後服用した睡眠導入の錠数について
右の点については、前記員面では二五錠であるとされているのに対し、四・一九検面及び公判供述では四〇錠とされているのであるが、これらはいずれも被告人が服用した際の錠数を、明確な記憶に従って述べたものではなく、埼玉中央病院の岩尾医師から投与された睡眠導入剤の錠数から、それまでに、被告人が自ら服用し、又は子供達に服用させたと思われる分を差し引いた計算結果に基づく、理屈の上の数字であることが明らかである。そこで、このような観点から証拠を検討してみると、二月一三日付け捜査関係事項照会書等によれば、岩尾医師が投与した睡眠導入剤は、五六錠と認められ、他方、被告人が犯行当日以前に服用した分や当日Aらに飲ませた分等を考慮すると、犯行後被告人が服用した睡眠導入剤は、前記検面のとおり、約四〇錠と認めるのが妥当と思われる。
三 Aによる「嘱託」の成否について
以上の認定によれば、被告人によるAの殺害が、事実上同人の依頼に応じて行われたものであることは、明らかなところであるが、刑法二〇二条にいう「嘱託」は、通常の事理弁識能力を有する被害者の自由かつ真意に出たものでなければならないとされているので、同人の殺害が、殺人罪ではなく嘱託殺人罪を構成するにすぎないかどうかについては、右の観点からの検討を省略するわけにはいかない。しかして、本件の被害者Aは、すでに一四歳という年齢に達しており、また、知能の面で格別劣った点はなかったのであるから、一般的にいえば、右嘱託能力に欠けるところがあるとは考えられないが、他方、前認定のとおり、同人は、当時、精神にやや変調を来たしており(また、当日朝以来服用した二錠の睡眠導入剤の影響も、軽度ではあろうが、全くなかったとは考えられない。)、自殺の可否について通常の弁識能力を有していたか否かについては疑問の余地がないわけではない。Aの当時の病状については、これを正確に認定すべき資料がなく、うつ病ないし精神分裂病の疑いも全くないとはいえない一方、思春期特有の一時の心因反応にすぎなかった可能性もある。同人の病状を確実に認定する証拠が見当らない以上、「疑わしきは被告人の利益に」との原則を適用して、同人が、自由かつ真意に出でた嘱託をする能力を有していたことの合理的疑いがあるとして、殺人罪の構成要件該当性を否定することも、もちろん考えられないことではないが、のちに詳細に説示するとおり、本件については、被告人の責任能力自体に疑問があり、嘱託の成否の判断は、結局、本件の結論を左右しないと考えられるので、この点に関する最終的判断は、ひとまずこれを留保した上で、責任能力に関する検討の結果を示すこととする。
四 被告人の病状について
1 まず、被告人が、犯行当時、内因性うつ病(「躁うつ病性うつ病」と同じ。以下、「内因性うつ病」に統一する。)に罹患していたこと自体については、検察官も争っておらず、犯行前日まで被告人を診察していた埼玉中央病院の岩尾芳郎医師、検察官の嘱託により起訴前の簡易鑑定をした家近一郎医師、同じく検察官の嘱託で起訴前鑑定をした聖マリアンナ医学研究所顧問逸見武光医師(以下、「逸見医師」という。)、当裁判所の命により精神鑑定をした東京医科歯科大学名誉教授中田修医師(以下、「中田鑑定人」という。)ら専門家の意見が一致しているところであって、明らかにこれを認めることができる(以下、岩尾医師の司法警察員に対する供述調書及び同人の第七回公判における供述を一括して「岩尾供述」と、右公判供述を「岩尾証言」と、医師家近一郎作成の診察結果報告書を「家近報告書」と、医師逸見武光作成の鑑定書及び同人の第二回公判における供述を一括して「逸見鑑定」と、医師中田修作成の鑑定書及び同人の第五回公判における供述を一括して「中田鑑定」と、それぞれ略称する。)
もっとも、検察官は、証人中田修に対する尋問中において、被告人のうつ病が反応性、心因性のものではなかったかとの趣旨の発問をしており、平成元年三月二三日付け精神鑑定請求書中ではその趣旨の主張もしているので、右の点につき、念のため一言しておくと、証拠によれば、被告人については悲哀的気分、意思・思考の抑制(制止)、希死念慮、過度の心配等重症の精神症状のほか、食欲不振、睡眠障害(浅い睡眠)、体重減少、性欲減退、無月経等の身体的症状があったこと、約五年前にも同様の症状を呈したことがあり、周期性がみられることなどが明らかであり、これらの点からすると、被告人が本件当時罹患していたうつ病が、「周りの影響を受け易い傾向の強い」(中田証言速記録五丁)ものではあるにしても、内因性のうつ病であったとする前記各鑑定等は、優に措信することができるというべきである。
2 そこで、次に、右うつ病の程度について検討するのに、検察官は、うつ病の程度は、「これを量的に表現することは不可能である」(論告要旨一丁裏)とか、責任能力の判断においては、うつ病の程度が重症か中等度か軽症かという詮索をするまでもない」(同八丁)などとしているが(もっとも、検察官は、他方においては、「被告人のうつ状態がそれ程強度でなく」(同三丁裏)などとも主張しており、全体としては、うつ病がそれほど重症ではなかったとの趣旨の主張をしているとも解される。)、被告人が当時罹患していたうつ病がどの程度のものであったかは、後記責任能力の判断において重要な意味を有すると考えられる上、その程度を認定・表現することが、容易なことではないにしても不可能ではないと認められること(この点については、前記中田、逸見ら、本件の審理に関係した専門家の意見がすべて一致している。)にかんがみ、証拠により確定しておく必要があると考えられる。
3 ところで、被告人の当時の病状については、<1>「かなり重症のうつ状態であった。」とする中田鑑定及びこれと同旨に帰着する岩尾供述と、<2>「強度のうつ状態に陥っていたとは考えられない。」とする逸見鑑定が対立しているが、まず、中田鑑定は、「(被告人の第二回病相は、)昭和六二年一〇月頃に始まり、徐々に悪化し、昭和六三年一月初めに最悪になり、通院加療により一時軽快したが、二月初めから悪化し、本件犯行はその悪化した状態下に行われた。」とし、犯行時の病状を、「それまで勝気で活動的だったが、抑制のために各種の活動をやめ、家事さえも充分にできなく、絶えず自殺を考えていたが、自分の死後の子供のことが歯止めとなって自殺を実行できないが、いつ自殺に赴くかもしれない危険をはらんだ状態である。」と説明するもので、右説明には、先に認定した事実経過に照らして不自然な点は全くない上、被告人の主治医として、昭和六三年一月五日以降犯行前日まで、継続的に被告人を診察した岩尾医師の診断・治療の状況とも基本的に符合するもので、極めて説得力に富むといわなければならない。もっとも、この点について検察官は、二月九日の病状について述べた岩尾証言中「初診時よりは多少いいだろうが、仕事に行ってうまくできなかったんで、うんと悪くなった感じ」であったとする部分につき、<1>当日のカルテには「やや抑うつ的」と記載されているだけであって、<2>希死念慮の記載がない上、他の箇所にも、一月五日の分と比べ、そう極端なうつの症状の記載がないこと、<3>二月九日に投薬量が増加されたことは、必ずしも病状の悪化と結び着くものではないことなどを指摘して、岩尾医師自身、当時被告人の病状をさほどの重症とは診断していなかったのではないかとの趣旨に帰着する主張をしている。しかし、<1>については、そもそも岩尾医師が、病状の極めて重かったことの明らかな一月五日の段階ですら、カルテには単に「抑うつ的」と記載しているにすぎず、その後やや軽快した一月一二日、一九日、二六日の段階では右表現を用いていないこと等に照らすと、同医師がカルテ上に「やや」という修飾語を付してではあるが「抑うつ的」と記載したことは、むしろ、被告人の病状が、一月五日の時点ほどではないにしても、その後の診察の際とは異なりかなり悪化していたことを示すものと理解されるのであり、右は、前記岩尾証言と何ら抵触するものではないと考えられる。次に、<2>について、同医師は、診察の際、カルテには、認められた症状や主訴のすべてを記載するものではない旨供述しており、右供述は、繁忙を極める大病院勤務の精神科医師の日常の診療業務の実態に照らし優に首肯されるから、カルテ上に希死念慮等の記載がないことから被告人が当時そのような訴えをしていなかったとか、うつの症状が認められなかったなどと推認することはできない(被告人が現に当時強い希死念慮を抱いていたことは、前認定のとおりである。)。更に、<3>については、この点に関する岩尾証言の趣旨は、「病状が悪くても、初診時から一挙に大量の薬の投与をすると副作用の心配があるから、投薬は、経過をみて次第に増量していくのが通常であり、二月九日に増量したからといって、その時点での病状が、一月五日の時点より重かったということにはならない」という点にあると認められるのであって、同医師も、当日投薬量を増やしたのがそれ以前の投薬により一旦軽快し始めた被告人の病状が再びかなり悪化したためであることを認めているのであるから(速記録九丁)、「投薬量の増加は、必ずしも病状の悪化を意味しない」とする検察官の主張は、右岩尾証言を誤解又は曲解するものといわなければならない。
4 次に、検察官が措信し得るとする逸見鑑定は、岩尾医師による投薬等により、被告人のうつ状態が昭和六三年一月中に一旦は軽快したのち、二月に入って再び悪化したという経過については、中田鑑定とほぼ同様の見解をとりながら、被告人が犯行当日にも外出できたことを主たる根拠として、当時被告人が、「強度のうつ状態に陥っていたとは考えられない。」とするものである。
そこで、検討するのに、まず、逸見鑑定は、犯行日に比較的接着した時点において直接被告人を面接した上で作成されたという強味はあるが、それだけにまた、右面接時の診断を誤ると、犯行時の病状に関する判断自体をも誤るという危険性をはらむものであるから、右鑑定については、鑑定の手法、判断方法等の点について慎重な検討が必要であると考えられるところ、逸見医師による被告人の面接は、いずれにしても二、三回、その時間も、最も重要で時間をかけたと思われる第一回目の面接(二月二七日)ですら、せいぜい約一時間程度にすぎない上、中田鑑定と比べると関係者からの事情聴取を含む基礎資料の収集面等でも甚だ不十分であることなども明らかである。次に、逸見鑑定が、被告人の当時の病状につき前記のように判断した理由として、当日被告人が外出していることを挙げている点について考えると、そもそも逸見医師自身が重症であったと認めていると解される同年一月初めの時点でも、被告人は病院への通院及び食事のための買物には外出しているのであるから、右鑑定意見は、その立論の根拠自体に問題の余地があるといわれなければならない。
そして中田鑑定人及び岩尾医師は、うつ病には、外出ができなくなる程の極限状態も有り得るけれども、外出はできるが重症という段階もあることを一致して証言し、特に岩尾医師は、外出の理由や態様による区別が必要であることを強調しており、右の指摘は、極めて説得的であると認められる。
そこで、被告人の本件当日の外出についてみると、被告人がわざわざ電車に乗って市内のデパートまで行ったことも、墓参りに行ったことも、何とかしてAを元気づけたいと苦慮していた被告人のやむにやまれぬ行動(換言すれば、当時の被告人にとって必要最低限の行動)と見るべきものであり、外出時の被告人の行動に明らかに異常とみられるものがなかったこと、及び、被告人に、当時、一定の意図を持って目的地へ進んで行ける程度のエネルギーが維持されていたことを考慮に容れても、右は、直ちに当時の病状が重くなかったことを示唆する事情であるとはいえないと考えられる。
また、逸見医師は、犯行から一七日を経過した二月二七日に被告人を面接した際、被告人が極めて多弁であったことを重視し、その時点では被告人が、既に正常ないし躁状態にあったと判断していることが明らかであり、右判断が、同鑑定人による被告人の犯行当時の病状の判断にも影響を及ぼしていることは、十分考えられるところである。ところが、<1>浦和拘置支所長の回答書によれば、被告人の全身状態が良好になってきたのは、逸見鑑定人との面接の二月以上のちである同年五月頃になってからであること(被告人の公判供述には、逸見鑑定の前には回復したとするものもあるが、これは警察での取調べ時のようなひどい状態からは脱したという趣旨と解せられ、病気が完全に回復したという趣旨でないことは明らかである。)、<2>被告人は、本件犯行の影響もあって、岩尾医師が診察した二月一六日及び家近医師が診察した同月一七日には、極めて強いうつ状態にあったと認められるが、そのわずか一〇日後に正常あるいは躁状態になったと考えるのは、いかにも不自然であること、<3>被告人のこれまでの病歴の中で、躁状態が発現したことは一度もないこと、<4>中田鑑定人は、被告人が多弁であったのは逸見医師に自らの思いをよく聴いてもらおうと意気込んでいたため、逸見医師がそれを躁状態と誤解したのではないかと推測しているところ、右推測は、「専門の医師でもそのような誤解をすることは有り得る」という岩尾証言のほか、逸見鑑定人による第一回目の面接が前記のとおり比較的短時間であったこと等に照らし、これを無視し難いと考えられることなどの諸点を総合考察すると、逸見鑑定人が、二月二七日の面接時における被告人の病状について誤った診断を下し、これを前提として、犯行時の病状を判断したため、その判断を誤ったという可能性を否定することができない。
5 このようにみてくると、犯行当時の被告人の病状に関する相対立する二つの鑑定については、「かなりの重症」であったとする中田鑑定(及びこれと同旨に帰着すると思われる岩尾供述)を措信すべきであり、「強度のうつ状態にあったとは考えられない。」とする逸見鑑定は、これを採用することができない。そして、右中田鑑定及び岩尾供述を含む関係証拠を総合すると、当時の被告人は、かなり重症の内因性うつ病の病勢期にあって、希死念慮が極めて強く、ただ、日頃からこよなく愛してきた三人の子供のことが歯止めになって、かろうじて自殺を思いとどまっていたにすぎず、右歯止めが外れれば、いつ自殺に走っても不思議ではない状態であったと認められる。
第三 責任能力の有無について
一 検察官の主張
検察官は、本件犯行の動機、態様、犯行前後の被告人の行動等に照らして具体的に考察すれば、被告人は、当時罹患していた内因性うつ病のため、是非善悪の判断能力の著しく低下した状態にあったものと認められるものの、これを全く喪失した状態にあったとは到底考えられないので、被告人の行為は、限定責任能力者の行為と判断されるべきである旨主張している。
二 内因性うつ病患者の責任能力の判断方法について
内因性うつ病は、精神分裂病と並ぶ二大精神病の一とされており、精神分裂病のように人格の低下・崩壊を来たすことはないが、生気感情の減弱低下による現実感の消退、離人感、思考の抑制・制止、悲哀的な気分変調、虚無感、焦燥感、苦悶感、絶望感等多くの精神症状を生じ(右のほか、多くは、睡眠障害、食欲・性欲の減退、無月経等の身体症状をも伴う。)、自殺念慮、自殺企画等に発展することの多いのが、その特徴であるとされている。同病に罹患していると判断される者については、一般に、そのこと自体により、責任能力の存否に相当程度の疑問が提起されたものとして、慎重な判断のなされるのが通常であるが、右判断方法については、<1>内因性うつ病の状態で犯行が行われた場合は、病状の程度や犯行と病状との関連性を考慮することなく責任無能力とすべきであるとする立場(中田鑑定も、軽症のうつ病の場合は別としてという留保付きではあるが、基本的に右見解に依拠していることが明らかである。)と、<2>犯行当時の病状のほか、犯行前の生活状態、犯行の動機・態様等を総合して、うつ病と犯行の具体的関連性を考慮した上で責任能力を判断すべきであるとする立場が対立している。ところで、同様の問題は、二大精神病の他の一である精神分裂病についてもあったのであるが、最高裁判所の判例(最高裁昭和五九年七月三日第三小法廷決定・刑集三八巻八号二七八三頁参照)は、精神分裂病患者の責任能力の判断について右<2>と同一の立場に立つべきである旨判示しており、右判旨は、うつ病の場合にも基本的に妥当すると考えられている。そして、検察官も、そのことを当然の前提として心神耗弱の主張をしているので、当裁判所としても、中田鑑定の基本的立場をひとまず離れて、右<2>の立場に基づき、うつ病と犯行との具体的関連性を検討していくこととするが、うつ病の場合は、幻覚体験等を伴うことの多い分裂病の場合と異なり、感情移入が容易であるため、犯行の動機も一見了解可能に見えることが多いことが禍いして、裁判所がしばしば責任能力に関する判断を誤ることがあるとの専門家の指摘(福島章著「精神鑑定」一七三頁)にかんがみ、動機の了解可能性、犯行態様の異常性等の検討にあたっては、単に抽象的・形式的に検討するのではなく、被告人の病前性格からみて、そのような動機からそのような行動に出たという事実をどの程度合理的に理解することができるかを検討し、窮極的には、現に被告人のとった行動が、被告人の本来の人格と明らかに異質なものである疑いがないかどうかを、具体的・実質的に考察する必要があることは、当然のことというべきである。
三 犯行の動機について
被告人のうつ病の病状については、すでに検討したので、次に、犯行の動機について検討する。前記認定のとおり本件犯行の動機は、被告人が、かねてうつ病に罹患しているのではないかと心配していた長男Aから、当日朝以来、たびたび「死にたい。」「殺してくれ。」と頼まれ、遂に同人がナイフで自殺を図ったりするのを見て、同人を不憫に思うと同時に前途を悲観し、いっそのこと同人に希望通り死を与えて苦痛から解放してやり、他の二名の子供を殺害した上で自らも命を断とうと考えたというものであるところ、検察官は、右のとおり、本件の主要な動機がAの苦痛を解消してやることにあった点を重視し、本件は、うつ病の故に抱いていた被告人自身の希死念慮を遂げるために子供三人を巻き添えにした事案ではないから、動機は一応了解可能であると主張している。
確かに、本件における被告人の行動は、明らかに支離滅裂であるとか、その間に一片の合理性もないという類いのものではなく、一見、それなりに合理的な動機に基づくもののように考えられないではないが、よく考えてみると、右犯行の動機が合理的に了解可能なものであるとは、到底考えられないというべきである。なるほど、一般に、精神に変調を来たした息子が、死にたいと言って自殺まで企て、いくら説得しても聞き入れないような場合に、母親が強い衝撃を受け、混乱状態に陥ることの多いであろうことは、検察官の主張するとおりであろう。しかし、そのことから直ちに、かかる場合に、すでに思春期前期にも達し、肉体的に何らの欠陥がないばかりか、右精神の変調がどの程度深刻なものかの診断すらついてない自己の息子の殺害を決意するのが「むしろ極く普通」であるとか、「自殺ないし心中を図ったとしてもそれ程異常とは思えない」と結論づける検察官の主張(論告要旨四丁裏)には、明らかに論理の飛躍があるといわなければならない。母親、特に子供に対し深い愛情を抱く母親にとって、子供は、自己の生命にも替え難い絶対の存在であって、母親が、他に特段の理由(例えば、生活苦、不治の病、憎悪確執等)もないのに、単に、息子から殺害を依頼されたというだけで、現実にその殺害を決意し実行するというような事態は、正常な精神状態を前提とする限り常識上到底想定し難いところである。まして、被告人は、日頃から子供達に対する愛情がことのほか深く、父親が不在勝ちであることもあって、子供達と精神的に強い絆で結びつけられていたと認められるのである。このような被告人が、Aから殺してくれと頼まれ、同人が説得にも容易に応ぜず翻意しなかったからといって、同人を(しかも、何ら問題のない他の二人の子供まで道連れにして)殺害して自殺しようと決意したという本件犯行の動機は、常識上やはり合理的に了解することのできないものといわなければならない。
なお、このことと関連し、検察官が論告要旨の「第二 情状」中においてではあるが、被告人の犯行の決意の背景に、被告人の子育てに関する歪んだ考え方があったと指摘し、あたかも右犯行の決意が、被告人の病前の性格ないし考え方を前提として合理的に了解可能であるとの趣旨の主張をしている点に触れておこう。検察官の主張によると、被告人は「躾に厳しく、全てに完全を求め、全てを自分の思い通りにしようとする性格」で、これは、「本質的には、本来未完成な存在である子供の人格を無視し、子供を私物化する考え方につながるもの」であり、本件は、このようなマイナスの面が「悲惨な形で露呈した」ものであるというのである。確かに、被告人が躾に厳しい完全主義者であって、子供を自分の思いどおりにしようとする傾向のあったことは前認定のとおりであり、また、被告人が、本件犯行直前の時点においても、夫や友人に対し、子供の教育に失敗した旨愚痴るなど、Aの将来を危ぐする言動に出ていた事実も認められるけれども、被告人Aの将来を過度に危ぐするに至ったのが、後記のとおり、そもそもうつ病の精神症状に起因するものである上に、本件は、右のような被告人がAを思いどおりに教育できなかったことに絶望して同人を殺害したという事案ではなく、被告人は、かねて自己と同じうつ病に罹患しているのではないかと心配していた同人から、執ように自殺念慮を訴えられた結果、遂に同人にその希望する死を与えることが本人のためになるいいことだと思い込むに至った結果、これを殺害したものであるから、本件犯行の動機を、被告人の病前の性格ないし基本的考え方と結びつけて考えるのは、やはり誤りであるというほかない。被告人は、かねて子供に深い愛情を注いでいただけでなく、「子供は神の子であり、親の所有物ではない」と教えるキリスト教の信者であったのであり、現世における子供の幸福を願いこそすれ、その生命を抹殺することなど、正常な精神状態であればおよそ考えられなかったと認められるのであって、このような被告人の性格ないし基本的考え方と本件犯行の動機との間に、共通性ないし連続性があるとは到底考えられないというべきである。
四 犯行の態様について
本件においては、犯行の決意から最終的な殺害終了までに相当の時間的経過(約二時間)が存在したにもかかわらず、また、現に被告人の決意した犯行が、最愛の子供を三人も一挙に絞殺するという衝撃的なものであったのに、被告人が、その間一度として思い直すことがなく、淡々と何らの気持の高ぶりもなくこれを敢行している点で甚だ異常なものといわなければならない。
右の点につき、検察官は、正常な人間でも、一旦犯行に着手したのち、既定のレールに乗った形で冷酷な行動を相当時間かけて平然と敢行することは往々にして存在するとして、いわゆる金属バット殺人事件の例を引き、本件犯行の態様も、特に異とするに足りないと主張する。しかし、くり返し指摘するように、本件は、子供に対する愛情のことのほか深い母親が、三名もの子供を一挙に殺害したという特異な事案であって、被告人と被害者らとの間には、愛情の絆こそあれ、何らの心理的葛とう・確執も存しなかった点、及び被告人自身が、日頃、冷酷非情な殺人行為とはおよそ無縁な人格であったこと等の点で、世上伝えられる金属バット殺人事件の事案とは事情を大きく異にしている。しかも、検察官の主張によれば、右事案における被告人は、両親の殺害という犯行に着手したのち、これを淡々と実行したとされているにすぎないが、本件被告人の場合は、前記のとおり、犯行の決意から実行の準備、着手及び完了までの約二時間もの間、躊躇逡巡した形跡が全くみられないのであって、その異常性は、右事案と比べてもはるかに大きいと考えられるのである。このようにみてくると、本件犯行の態様の異常性は、被告人の日頃の人格とはおよそ結びつかないものであって、これを、うつ病による思考制止の結果であると考える以外には、合理的な説明が困難であると思われる。
五 犯行前後の行動について
1 以上のように、被告人が犯行当時かなり重症の内因性うつ病の病勢期にあり犯行の動機・態様が甚だ異常で、正常な人格を有する人間のそれとしては、到底合理的に理解することができないものである以上、被告人の行動は、うつ病に決定的に支配され、正常な是非善悪の判断能力を欠いていた疑いが極めて強いといわなければならない。しかしながら、検察官は、被告人がAから殺してくれと頼まれた結果、B及びCをも道連れにして心中することを決意した点について「やや切迫性に乏しい」としながらも(論告要旨二丁裏)、被告人が、当日朝以来、「Aの異常という環境条件の中で、Aの説得等十分理解可能な合理的行動をとり、これが実を結ばなかったことから、それなりに理解可能な動機に基づいて本件を敢行した」のであり、「うつ病に規定された部分は、むしろ少なかった」として、犯行前後の被告人の行動の中から規範意識の残存を窺わせるかにみえるいくつかの点を指摘している。そして、検察官は、これらの点を総合考察すれば、被告人は、せいぜい心神耗弱の状態にあったと認められるに止まるのに、中田鑑定は、犯行とうつ病との具体的関連性についての考察を放棄しているとこれを論難しているのである。そこで、以下、犯行の前後にわたる被告人の行動のうち、検察官指摘の諸点が、真に規範意識の残存を窺わせるものとして、合理的に理解することができるかどうかについて検討し、このことを通じ、本件犯行とうつ病の具体的関連性を改めて検討してみることとする。
2 検察官の指摘する第一の点は、被告人が当日朝Aに自殺念慮を訴えられて以来、同人に死を思い止まらせようとして説得したり、元気づけるための買物をしようとしたり、仏前に回復を祈念するなどの行動に出ている点である。確かに、右の点は、一見すると、正常人と変らない合理的行動とみえないことはない。しかし、当日朝以来の被告人の行動を仔細に分析し、総合して観察してみると、右は、むしろ、重症のうつ病患者特有の明らかに異常なものと考えられるのであって、これを合理的な行動とみるのは、事物の表面のみを観察した皮相的な見解にほかならない。すなわち、当日朝Aから死にたいと訴えられたのちに被告人がとった行動は、単に死んではいけないと同人を説得したり、ナイフを取り上げたり、せいぜい、おいしいものを食べさせようと買物に出たこと等に止まるのであり、その努力が効を奏しないとわかるや、被告人は、そのわずか半日後に、同人との心中(しかも、何らの問題のない他の二人の子供を道連れにした心中)を遂げようと決意し、そのまま実行に移したものであって、右のような行動は、子供を深く愛する母親(しかも、優秀な頭脳を有する賢明な母親)のそれとしては余りにも短絡的、かつ、異常というべきであり、これがうつ病に大きく規定されたものであることは、明らかであるといわなければならない。なるほど、Aの健康状態は、必ずしも楽観を許さないものではあったであろう。しかし、同人については、すでに夫Dとともに埼玉中央病院での診察を受けさせ、近く、二月一八日には、心理テストを受けさせる段取りもついていたのであって、当時は、いまだ正式な病名すら判明していない段階であったのである。しかるに、被告人は、右診断が下る前に、Aもうつ病に罹患していると勝手に決めつけてしまい、高校受験や社会人になったのちの苦労にまで思いを馳せ、その苦痛をより強く感ずるなど、過度に悲観的な見方をしてしまったのであって(これは、うつ病患者特有の過度の心配ないし悲哀的気分のなせるわざとみるべきであろう。)、その後の被告人の行動が右の見方に強く影響されていることは、多言を要しないと考えられる。
次に、被告人が、Aから自殺したいと訴えられたあと夫や医師・教師らに助力を求める等通常の母親であれば当然とるであろうと思われる手段に全く思い至らなかった点も明らかに異常であり、うつ病による思考の抑制・制止の結果であると考えて、初めて説明することができよう。右の点につき、検察官は、夫Dは家庭のことを被告人に全面的に任せており、子供との接触もほとんどなく、Aの異常にも本気で対処しようとする気がなかったのであるから、被告人がDに相談しなかったことにも相当な理由があると主張するけれども、いかに夫が家庭的でないといっても、ことは、子供の生命や家庭の存亡に関する重大事である上、Dも一月二八日にAを埼玉中央病院へ連れて行く際には協力していたのであり、Aの件に関してはそれなりに心配していたことを被告人も知らないはずがなかったのであるから、それにもかかわらず、被告人が母子四人心中まで決意する重大局面に至っても、Dのことを全く思い浮かべることすらできなかったというのは、被告人の思考力が著しく低下し、むしろ思考制止の状態にあったことを如実に示す証左というべきであろう。
更に、Aから殺してくれと繰り返し頼まれたとはいえ、被告人が、そのわずか半日後に、Aの殺害に止まらず、他の二名の子供を含めた四人心中の決意までしてしまったことは、うつ病による希死念慮の存在と思考の抑制・制止を抜きにしては到底説明できないと考えられる。被告人のように子供を深く愛する母親にとって、子供を、しかも三人もの可愛い子供を殺害する決意をするということは、よくよくのことであり、余程特別の事情がなければこのような決意に出ることはないと考えられるのに、本件においてはかかる事情が全く存在しないことは、すでに詳述したとおりである。しかし、それにもかかわらず、被告人は、現にそのような行動に出ているのである。その間の事情につき、被告人は、捜査段階以来、おおむね、「一二月ころから、死ぬことを考え、夫にも殺して欲しいと話していたが、死んだあとの子供達の苦労を考えると、それがブレーキになって、どうしても死ぬ決断ができずにいた。…しかし、当日、Aからくり返し『死にたい』『殺して』と言われたため、可哀想でどうしていいかわからなくなり、頭の中が混乱して、Aの言うとおりにするのが一番良いと思った。」「Aを殺して自分も死のうと思ったが、BとCは、殺人犯の子供ということになって、可哀そうな思いをさせるのではないかと思い、Bらも一緒に殺そうと思った。」との趣旨の説明をしているのであるが(四・一五検面五項、第三回公判調書一三丁参照。)、被告人の中田鑑定人に対する供述(「Aがそのように眼の前に苦しんでいるのを見ると、どうやってよいかわからない。頭が混乱して、もう、Aの思い通りにしてやるのが良いのだと思い込んだのですね。Aを殺して私も死のうとそのとき思いました。それでAを殺して私も死ねば、Cちゃんたちも辛い目になるから四人で死のうと思いました。そのとき色々のブレーキがみなはずれた。歯止めが一気にはずれたようになって、四人で死のうと思い込むと、出口のないトンネルの中に入り込んだようで、一途にそのように思って、他の事は何も考えなかった。」「一種の狂気の世界に入ったように思う。」というもの。同鑑定書五四頁参照)には、その間の心理が、いっそう生々しく表現されている。右供述は、その具体性、生々しさ等に照らし、当時の被告人の心の動きを正直に吐露したものと認められるが、そこに表現されているものは、まさに、うつ病による希死念慮と思考の抑制・制止の結果、被告人が拡大自殺の決意と実行に追い込まれていった状況以外の何物でもないと考えられる。もっとも、検察官は、右のうち、「歯止めが一気にはずれた云々」の点は、被告人が犯行を決意したのちの精神状態を述べたもので、犯行を決意するに際しての精神状態を述べたものではなく、犯行決意後の精神状態については、いわば既定のレールに乗ったかたちで、心理的抵抗感をもたずに犯行を遂行することは、しばしば見られるので、特に異常というべきではない旨主張している(論告要旨四丁)。しかし、被告人がAの殺害を決意するに際しての心理の動きが、明らかに異常であると考えられることは、すでに詳細に説示したとおりである上(前記三)、一旦Aの殺害に思い至るや、たちまち他の二人の子供を道連れにしての四人心中の計画にまで一挙に飛躍し、その後、現実に右計画を実行に移すまでに約一時間三〇分もの時間があったのに、その間何らの迷いを生ぜず、躊躇逡巡した形跡がない等の点が、「特に異常というべきではない」などといえないことは、明らかであるといわなければならない(検察官が立論の根拠とするいわゆる金属バット殺人事件の例などは、本件とは明らかに事案を異にするもので、本件における被告人の精神状態を判断する際の参考にはならない。この点については、前記四において詳述した。)。
3 次に、検察官は、被告人が、Aを殺害するにあたり、「本当にいいんだね。」と言って同人の真意を確認している点を指摘している。右の点は、A殺害の直前の言動であるだけに、見方によれば、是非善悪の判断能力ないし規範意識の残存をいう検察官の主張の重要な論拠となり得るものと解される。しかし、右の点を被告人の規範意識の残存の証左とみることは、やはり正しくないというべきである。もともと、被告人がAの殺害を決意したのは、うつ病による自殺念慮の歯止めとなっていたAから、執ように自殺念慮を訴えられて思考が混乱し、同人にその希望する死を与えることが良いことであるとの誤った想念に支配された結果によるのであって、その意に反してAを殺害する気になれなかったのは、同人をこよなく愛する母親として、余りにも当然のことである。被告人が、殺害直前にAにその真意を確認したのは、このように、子供を愛する母親の心情(これは、人を殺すことが、道義上、法律上非難されるものであるか否かというような、いわゆる規範意識とは次元を異にする感情というべきである。)の然らしめたものにすぎないと理解すべきであって、被告人がかかる行動に出たことが、わずかながらとはいえ規範意識の残存を推認させるものでないことは、明らかであるといわなければならない。現に、被告人に規範意識がわずかに残存していたとみられる当日午前中の段階では、被告人は、「殺して」と頼むAの依頼を、自殺幇助罪の存在を指摘して断っていたのであり、もし本件当時被告人になにがしかの規範意識が残されていたとすれば、いくらAが望んだにせよ、同人に希望どおり死を与えること自体へのためらいがあって然るべきであろう。しかるに、本件当時の被告人は、単に、同人の意思が変っていないかどうかを確認しただけであって、その意思の不変更を確認したのちは同人を殺害することに何らのためらいを示していない。このように、被告人が、Aの生命を断つか否かという重大な決定を、同人の意思のみにかからせて何らの疑問を抱かなかったこと自体、被告人が、当時すでに、同人が希望する限りこれに死を与えることが良いことであるという誤った想念に支配されていたこと、ひいては、うつ病により思考制止の状態にあったことを示す有力な事情であるというべきである(もっとも、右の点については、当日午前中の時点では、被告人は、未だ自殺を決意していなかったのに対し、犯行直前の時点においては、自らも死を決意していたのであり、死を決意した被告人にとっては、Aを殺す行為が自殺幇助罪にあたるとしても、そのことを思い煩う必要はなかったにすぎず、犯行直前に何らのためらいを示さなかったのは、午前中と比べ被告人の精神状態ないし判断能力が変化したことを示すものではないとの反論があり得るかもしれない。しかし、そもそも被告人が、当日午前中、Aの依頼を断るにあたり、自殺幇助罪の存在を指摘した理由が、その文言どおり被告人が自殺幇助罪による処罰を恐れた点にあったと考えるのは、子を思う母親の心情を理解しない皮相的な見解といわなければならない。右時点において、被告人がAの依頼を断った真の理由はいかに同人が希望するにせよ、愛するわが子に死を与えるようなことは、母親として到底できることではないという母親としての切実な心情にあったのであり、被告人が口にした自殺幇助罪云々の言は、同人に自殺を思い止まらせるための一つの説得の手段にすぎなかったと認めるのが相当である。このような被告人が、その後、Aを殺害する決意を固め、何らのためらいもなく同人を殺害する挙に出た理由を、被告人が刑法による処罰を恐れる必要がなくなったという点に求めるのは、余りにも常識に反する認定であるというべきであり、右の理由は、被告人が、その後のAの言動の影響による病状の悪化もあって、Aに死を与えることが真に良いことであるという誤った想念に完全に支配されてしまったからであるという点以外には考えられない。ちなみに、岩尾証言<速記録一二丁>によれば、是非善悪の判断能力が午前中にはわずかに残存していたとみられるうつ病患者について、当日の事態の流れの中で、外界からの影響により、その後急激に、かつ、大幅に病状が悪化することも、あり得ることとされている。)。
4 最後に、検察官が指摘する被告人の犯行直後の行動について触れる。被告人が<1>Aら三名を殺害した直後に、夫Dあての遺書を書き、また<2>犯行の約一時間後に帰宅した夫に激しく責められた末、「私を殺してくれ」「私は警察に行く。」などと口走ったことのあることは、前認定のとおりである。そこで、まず右<1>の点について考えると、被告人が書いた遺書の内容は、「Aに殺してくれといわれました。もう何もかもイヤになりました。ゆるして下さい。おそうしきはいりません。わたしたちのぶんまでつよくいきて下さい。Dさま。四人のほねはいっしょにして下さい。花子」というもので、主として、家族に先立たれ一人取り残される夫の立場に同情し、そのような立場に夫を立たせてしまったことに対する謝罪の趣旨と解されるものである。確かに、被告人が、犯行直後の時点において、夫に対し右のような気持を訴える気になり得たということは、犯行時においても、是非善悪の判断能力が、わずかながら残存していたことの証左であるという余地が全くないとはいえないかとも思われる。しかし、被告人が、Aの依頼に応じ同人に死を与えることが良いことであると信じることと、その結果一人取り残されることとなる夫を気の毒に思う気持とは、決して矛盾・抵触するものではない。被告人が、愛するわが子に死を与えることが良いことであるとの誤った想念と自らの希死念慮とに支配され、何らのためらいもなく愛児三名を殺害し、いよいよ自らの命を断とうとする段階になって、それまで意識にのぼらなかった夫のことを思い出し、急きょ前記のような遺書をしたためる気になることは、十分あり得ることと考えられるのであって、もし右のとおりであるとすれば、被告人が遺書を書いた事実が、犯行当時における被告人の是非善悪の判断能力の残存を推認させるものではないことは、明らかなところである(のみならず、万一、犯行当時、被告人の心のどこかに、夫に対する右のような気持があったと仮定しても、被告人は、前記のような誤った想念と希死念慮に打ち勝つことができず本件犯行に走ってしまったのであるから、右の点は、結局において、被告人の責任能力の判断上、重視することができない事情であるというべきである。ちなみに、従前の裁判例においても、被告人が犯行直後に遺書を残した事実は責任能力の判断上重視されていない。東京地判昭和六三・三・一〇判タ六六八号二二六頁参照)。次に、<2>の点について考えると、右の点は、その時点において被告人がなにがしかの規範意識を有していたことを窺わせる事情であるといわなければならないが、すでに犯行後一時間を経過した時点のものである上、夫から激しくなじられたことにより失われていた被告人の規範意識が覚醒された結果であると解する余地もあるから、この点のみから、犯行当時においても、被告人に是非善悪の判断能力が失われていなかったと結論するのは相当でない。
六 総括
以上詳細に検討したところによれば、本件犯行の特徴は、次のとおりこれを要約することができる。すなわち、被告人は、本件当時、かなり重症のうつ病に罹患してその病勢期にあり、激しい希死念慮に悩まされていたが、日頃から深い愛情を注いで慈しみ育ててきた三人の子供のことが歯止めとなって自殺を実行できないでいるうち、当日朝以来、かねて精神に変調を来していた長男Aに希死念慮を訴えられ、殺してくれと頼まれて狼狽し、一旦は、自殺幇助罪の存在を指摘するなどして、自殺を思い止まらせようとしたけれども、同日午後七時三〇分ころ、昼間被告人の外出中に腕を切って自殺を図ったりしたAから、更に執ように殺して欲しい旨頼まれるに及び、思考が混乱し、苦しむ同人に対する不憫さから、「この上は、同人にその希望する死を与えてやるのが一番いいことである」との誤った想念に支配され、その結果同人殺害の決意に達した。そして、被告人が右の決意に達するや、それまで被告人の自殺の決意を阻止していた歯止めの一角が外れ、その結果、被告人は、同人を殺害した上で自殺しようと即座に意を決し、更には、あとに残されるBとCをも道連れにした四人心中の決意へと一挙に飛躍してしまった。しかも、被告人は、その後、右決意を実行に移すまでに約一時間半、実行を完了するまでに約二時間という時間があったのに、計画に対して疑問を抱いたり、躊躇逡巡したりすることも全くなく、実行直前にAに自殺の意思の変更のないことを確認しただけで、一四歳のA、一三歳のB及び九歳のCを順次腰ひもなどで絞頸して殺害してしまった。以上のとおりである。このような犯行の動機・態様の異常性は、優秀な頭脳を持ち、日頃から子供に対し深い愛情を抱いていた被告人の病前性格を前提とすればもちろん、通常一般の母親像を前提としても到底合理的に理解し難いものというべきであり、また、検察官の指摘するとおり、当日朝以来の被告人の行動の中には、一見合理的な対応であるかに見え、また、規範意識の存在を窺わせるかのようなものが散見されるが、よく考えてみると、それらはいずれも、本件犯行当時被告人が、是非善悪の判断能力を有していたとの事実を推認させるものではなく、むしろ、その多くは、当時の被告人がうつ病に起因する諸般の症状(悲哀的気分、希死念慮、思考の抑制・制止等)に支配されて行動していたことを窺わせるものであるといわなければならない。
そうすると、本件は、弁護人が主張するように、当時かなり重症の内因性うつ病に罹患しその病勢期にあった被告人が、右うつ病に起因する思考の抑制・制止、希死念慮等に支配されて行ったものと認めるのが相当であり、結局、本件犯行当時、被告人は、是非善悪を判断する能力及びこれに従って行動する能力を喪失していた(少なくとも、右能力の双方又はいずれか一方を喪失していたのではないかという合理的な疑いがある)と、認めるのが相当である。
七 若干の補足説明
なお、以上の点に関連し、更に若干の説明を補足しておくこととする。
1 被告人の犯行がAの言動に触発された点について
その一は、本件における被告人の犯行は、自らの希死念慮を実現するためただやみくもに死に向かって直進したというものではなく、Aの言動という外界の動きに触発され、いわばこれに反応する形で行われたものである、という点についてである(検察官は右の点を重視して、本件被告人の行動については、うつ病自体に規定された部分が少ないと主張している。)。確かにうつ病に起因する拡大自殺の中には、外界から何らの働きかけもないのに、単に自己の自殺念慮の発現の過程で家族等を巻き添えにするという事案もあり得るが、外界からの何らかの刺激に対応して行われるものも多数存在するのであり、前者のみがうつ病に支配された犯行で後者はそうでないと一律に断ずるのは誤りである。そもそも、中田鑑定人も指摘するように、精神分裂病患者であれうつ病患者であれ、その行動があらゆる観点から全く了解不能となる場合は極めて少なく(中田証言速記録二二丁)、このような精神障害者も、多くの場合、それなりに一見合理的にみえる動機に基づき行動していると考えられるのであるが、右動機が、行為者本人の純然たる内心のみに根ざす場合と、たまたま生じた外界の動きに触発された場合との間に、責任能力の存否を左右するような本質的な差異があるとは考え難い。問題は、むしろ、本人を行動に駆り立てた一見合理的にみえる動機が、正常人の立場を前提としても真に合理的に理解し得るものであるかどうかという点であって、本件においては、当時被告人が置かれていた具体的状況を前提としても、被告人が、A以下三名の子供を一挙に殺害する決意を固めた動機を合理的に理解することはできないのであるから、右行為がAの行動に触発されこれに対応する形で始まったという点は、被告人の責任能力の判断を何ら左右しないというべきである。
2 逸見鑑定及び中田鑑定の各評価について
その二は、あくまで参考意見としてではあるが、被告人の責任能力について心神耗弱を示唆した逸見鑑定及び心神喪失を示唆した中田鑑定の各評価についてである。検察官は、逸見鑑定が、被告人が当日外出可能であったことのみから限定責任能力を肯定した点は「やや唐突の感を免れない」としながら、その結論は支持できるとする一方、中田鑑定は、うつ病と犯行との具体的関連性の検討を放棄しているとしてこれを論難している。しかし、まず、逸見鑑定は、責任能力の判断の大前提となるべき被告人の病状の把握において、前記のとおり重大な誤りを冒している上、検察官自身も認めているとおり、限定責任能力を肯定する根拠として揚げている理由も、説得的でない。これに対し、中田鑑定は、病状の把握において、犯行前日まで被告人を診察していた岩尾医師の見解と一致し的確であると認められるばかりでなく、これを前提とした責任能力の判断も、妥当なものと考えられる。なお、検察官は、中田鑑定人が、うつ病と犯行との関連の具体的考察を放棄していると論難しているところ、同鑑定人の基本的立場が、「内因性うつ病の状態で犯行が行われた場合は、病状の程度や犯行との具体的関連性を考慮することなく責任無能力とすべきである」とする見解に立脚していることは、前説示のとおりであるが、同鑑定人も、責任能力の判断に関する近時の判例の動向を考慮してか、責任能力に関する具体的結論を導くにあたっては、うつ病と犯行との具体的関連について、相当程度の考察を行っていると認められるのであり、同鑑定人が、右関連性についての考察を全く放棄しているとは考えられない。すなわち、同鑑定人は、斯界の第一人者としての豊富な学識と永年の経験を基礎に、記録上明らかな本件犯行の経緯及び被告人の病状と犯行の動機に関する被告人の供述等を仔細に検討した末、少なくとも被告人が犯行を決意する段階においては、Aを殺害して自分も死ぬということ以外は考えられない状態に陥っており、他の行為に出る可能性、すなわち意思の自由を失っていたと判断しているのであって(速記録二三丁)、このことは、同鑑定人において、被告人が右の時点において、うつ病に完全に支配されていたと判断していることを示すものといわなければならない。そして同鑑定人の言によれば、同人の行った従前の鑑定事例においては、その責任能力に関する判断が、ほとんどすべて、刑事司法の実務においても受け容れられている由であり(同証言速記録二六丁)、右鑑定意見は、参考意見とはいいながら、尊重に値するものといわなければならない(なお、公刊物に登載された限りで見ると、典型的な内因性うつ病ないし躁うつ病患者が、その病勢期に犯した犯行については、ほぼ例外なく無罪の言渡しがなされており――例えば、神戸地姫路支判昭和四二・四・一四判タ二一〇号二三九頁、東京地判昭和四三・一二・四判タ二三二号一七九頁、大阪地判昭和五四・五・七判タ三八七号一五八頁、東京地判昭和六三・三・一〇判タ六六八号二二六頁――、このことも、前記中田鑑定の信頼性を裏付けている。ちなみに、検察官は、うつ病患者の犯行についても、実務上必ずしも心神喪失が認められていないとして、未公刊の裁判例の判決書謄本を多数提出したが、右裁判例の中には、事案の性質上執行猶予の付されることを見越してか、弁護人自身が心神耗弱の主張しかしていないため、責任能力の存否が正面から争われていないものが相当数含まれている上、それ以外のものも、弁護人が平成元年四月三日付意見書九項において的確に指摘するとおり、本件とは事案を異にするものが大部分であって、全体として、本件被告人の責任能力の存否の判断上参考になるものではない。)。もっとも、当裁判所は、同鑑定人の責任能力に関する判断方法に、ややあき足りないものがあると認めたため、検察官の指摘をも考慮に容れて、ひとまず中田鑑定の基本的立場を離れ、あらゆる観点から、うつ病と犯行の関連性を検討してみたが、その結果は、前記のとおり、同鑑定のそれと完全に一致したものである。更に、検察官は、「(中田鑑定の)見解によるときは、一旦典型的なうつ病だと診断されさえすれば、その者が如何なる動機に基づき如何なる犯罪を敢行しようとも一切刑事責任を問われないということとなり、刑事司法に携わる者として、到底容認できない。」旨中田鑑定を批判するが、当裁判所の見解はもとより中田鑑定も、被告人が内因性うつ病に罹患していることから直ちに心神喪失の結論を導いたものではなく、うつ病と犯行との関連性を種々検討した上でのことであることは、すでに詳述したとおりであるから、右検察官の批判は、あたらないというべきである。
3 検察官の再鑑定申請を却下した点等について
その三は、当裁判所が、検察官の再度にわたる再鑑定申請を却下した点及び検察官が右二度目の再鑑定申請書に添付した疎明資料(医師徳井達司作成の「被告人花子の犯行時精神状態に関する意見」と題する書面。以下「徳井意見書」という。)についてである。検察官は、前記二回にわたる再鑑定申請書において、中田鑑定がうつ病と犯行との具体的関連の考察を放棄しているとしてこれを論難し、再鑑定の必要性を力説する一方、第二回目の再鑑定申請書には、本件記録の一部(起訴状、逸見鑑定<証言を含む。>、中田鑑定<同上>、家近報告書、岩尾供述、被告人の員面・検面、Dの検面及び証言)を参照した上で作成された徳井意見書を添付し、論告においては、再鑑定申請を却下したまま無罪を言い渡すとすれば、審理不尽の違法がある旨主張している。そこで、まず、右徳井意見書について検討すると、同意見書は、当時の被告人のうつ状態を、「軽度とは云えない」「中等度」のものとみた上で、うつ病と犯行との具体的関連性を検討する必要があるとし、<1>当時、被告人は、Aの言動がなければ自殺に向かった可能性の少ないと思われる状態にあった、<2>当日午前中、Aに自殺幇助云々と説得している、<3>おいしいものを食べさせたいと浦和の伊勢丹に出向いたほか、回復を祈願するため墓参をしている、<4>帰宅後、Aの自殺企図を知ったときも、一応の説得をしている、<5>犯行時、Aに「本当にいいんだね」と念を押している、<6>犯行後夫に、「殺してくれ」とか「警察に行く」と言っているなどの諸点を指摘し、これによると、「本件は、被告人のうつ病の情勢が圧倒的に支配し、自らの希死念慮が先行主導した行動というよりも、直接的にはAに基因した反応行動」であり、一応の了解可能性があるとし、更に、被告人の判断、行動がどの程度病的支配あるいは病的規定性によるものかを厳密に識別することは「極めて困難」であるとしつつも、一つの見解として、<ア>犯行の動機となったAの言動に接すれば、母親の心理的動揺や混乱は当然の現象で、動機は了解可能性がある、<イ>被告人は、犯行直前までAの病的心性に同調しない規範的態度、行動をとっており、最終的にも同人の希死念慮を確認する等、自己の希死念慮に埋没するよりも、A自身の願望を優位に置いているという説明が可能であるとし、最終的に、限定責任能力の結論を示唆するものである。しかし、右意見書も認めるとおり、当日の被告人の判断、行動がどの程度病的支配あるいは病的規定性によるものかを医学的に識別することは、精神医学者の専門的知見を動員しても、「極めて困難」な分野に属するのであって、右の点は、結局は、専門家の助言と意見を参考にしつつも、最終的には裁判所の責任と権限において決すべきことがらである。そして、当裁判所は、前記責任能力の判断においては、検察官が論告中に事実上援用している右意見書の内容についても仔細に検討した上、右意見書の指摘する前記<1>ないし<6>の点は、いずれも犯行当時被告人が是非善悪の判断能力を有していたことの証左とはならないものであり、当日の行動を総合して検討すれば、前記のとおり、被告人は、うつ病に起因する思考の抑制・制止、希死念慮等に支配されて本件犯行を行ったものと認めるのが相当であるとの結論に達したものであって、右意見書の内容及び再鑑定の必要性を力説する検察官の主張をくり返し検討してみても、被告人の責任能力の判断に関し新たに専門家の意見を徴する必要があるとは考えられない。換言すれば、本件においては、うつ病の程度についてはもちろん、当日の被告人の行動とうつ病との関連性についても、これを判断するための基礎資料はすべて出尽くしており、あとは、右資料を基礎に責任能力に関する法的判断を下すことが残されているだけなのであって、このような、本来裁判所の責任と権限で判断すべき事項について、これ以上新たな鑑定意見(しかも、すでに事実上示されたその概略によれば、必ずしも首肯し難い内容の鑑定意見)を求めた上でなければ、被告人に無罪判決を下すことができない(検察官の言によれば、そのような判決をすれば審理不尽の違法を生ずる)とは、到底考えられない。
4 刑罰の本質からみた責任能力の判断方法について
その四は、刑罰の本質からみた責任能力の判断方法についてである。いうまでもないことながら、刑罰は、構成要件に該当する違法有責な行為を行った者に対し国家が加える苦痛であるが、国家が右行為を行った者を非難しこれに苦痛を加えることの許されるのは、右行為が、少なくとも何らかの意味において、行為者本人の人格の発現とみ得る限りにおいてであって、現実に行われた行為が、行為者本人の人格と全く無縁なものであるときは、刑罰を加えることは許されない。ここに、刑罰の限界があるのであって、一般に、有責性ないし非難可能性のない行為が犯罪を構成しないと解されているのは、右の意味においてである。そして、刑事司法の実務においては、行為者の責任能力の有無を、精神の障害という生物学的要素と弁別能力・行動制禦能力という心理学的要素を総合して行う、いわゆる混合的方法により決すべきものとされており、右のうち特に心理学的要素の判断においては、犯行の動機、態様の異常性の程度を考慮に容れることとされているが、前記のような刑罰の本質にかんがみるときは、動機が了解可能であるか、又は、犯行態様がどの程度異常であるかは、当該行為者の置かれた具体的状況を前提としてではあるが、あくまで、行為者の病前の本来の性格、人格に照らして、右行為が、行為者本人の人格の発現とみ得る余地があるか否かという観点から検討されなければならない(検察官及び前記徳井意見書は、本件当時、被告人がうつ病に罹患していたことを前提とし、そのような被告人であるが故に、Aの苦しみを見るに見かね、同人を楽にしてやりたいという気持から、同人殺害を決意したもので、動機は了解可能であると立論するが、右立論は、動機の了解可能性の判断において、病前の被告人ではなく、すでにうつ病に冒された被告人を前提としている点で、誤りであるといわなければならない。右のような論法は、いわば、「被告人は、当時心神耗弱の状態にあったのであり、犯行の動機・態様は、心神耗弱者のそれとしては十分了解可能であるから、犯行当時被告人は、心神耗弱の状態にあった」という、一種の循環論法にほかならず、これが不当であることは明らかである。)。もちろん人間は、精神異常を来たしていない場合でも、状況の如何によっては、通常では考えられないような異常な行為に出ることが往々にしてあり得るのであり(例えば、一時的な激情に駆られた末の殺人等)、かかる行為が、平素の行為者本人の人格と容易に結びつかないということから、安易に責任能力が否定されることがあってはならない(責任能力の判断において、生物学的要素が重視されるのは、右のような場合があり得るからである。)。しかし、正常人の行為は、それが一見いかに突飛な行動にみえても、よく考えると、何らかの意味において、当該状況に置かれた行為者本人の人格との関連で了解可能なものを含んでいるはずである。本件における被告人の犯行の動機・態様が、いかなる意味においても、被告人の病前の性格ないし人格と結びつかないことは、すでにくり返し説示したとおりであって、これを、被告人の人格の発現とみて被告人に刑罰を加えることは、到底正当であるとは考えられない(もっとも、右のような考え方に対しては、このように責任主義の原則を厳格に貫くときは、再犯のおそれの極めて大きい精神異常者を野放しにする結果となって妥当でないとの見解もあり得るかとも思われる。確かに、保安処分制度を欠く現行法制度のもとにおいては、どちらかといえば保安処分に期待した方がよいと思われる役割の一部を事実上刑罰に担わせるということも、法制度の間隙を埋めるやむを得ない手段として是認される余地があろう。刑事司法の実務において、自己の責任で薬物中毒に陥った者による犯罪について責任能力の減弱や喪失を容易に認めず、また、再犯の危険性の高い、寛解期ないし欠陥状態下の精神分裂病患者の犯罪について心神喪失の認定をするのに慎重であるのは、右に述べたことと無関係ではないと思われる。しかし、右のような措置は、保安処分制度を有しない現行法制度の下における、あくまでもやむを得ない措置と考えるべきであって、不当に拡大されるべきではない。精神分裂病患者と異なり完全治癒が可能で治癒後人格の低下も生じないうつ病患者の場合には、保安処分的な意味合いによる社会からの隔離は必要がないのであるから、その責任能力の判断において、薬物中毒者や精神分裂病患者の場合のようなやや特殊な配慮を加える必要があるとは認められず、責任主義の原則を貫くことに不当はないというべきである。)。
ちなみに、法律論のレベルで考える限り、本件の被害者が、殺害された子供三名であることはいうまでもないことであるが、やや別の見方をすれば、本件犯行によって最も決定的な被害を受けたのは、自らの腹を痛め日頃から深い愛情を注いで慈しみ育ててきた愛児三名を一挙に失い、夫との離別はもちろん、十数年にわたって堂々と築き上げてきた家庭の崩壊に直面した被告人自身であるということができよう。その上、被告人は、愛児三名を順次自らの手にかけたという強烈な体験により、心に生涯癒やすことのできない深手を負っている。従って、もし、本件において、犯行の結果の重大性に目を奪われる余り、被告人の責任能力を誤って肯定し刑罰による追い打ちをかけるときは、被告人に将来再起不能の打撃を与えることとなるおそれすらある。本件における被告人の責任能力については、前記のような刑罰の限界に照らし、慎重の上にも慎重な判断がなされなければならない。
第四 結論
以上のとおりであって、本件公訴事実についてはその証明がないことに帰着するから、刑訴法三三六条により、被告人に、無罪の言渡しをすることとする。
よって、主文のとおり判決する。
(検察官 中原恒彦 弁護人 武笠正男)
(裁判長裁判官 木谷 明 裁判官 木村博貴 裁判官 水野智幸)